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映画 「戦場でワルツを」

「戦場でワルツを」観て来ました。
イスラエルの映画監督アリ・フォルマンが、自身の戦争体験を語ったものです。

冒頭、数匹の凶暴に目を光らせ牙をむき出しにした野犬が、夕闇に包まれる街を疾走する。やがてあるアパートにたどり着き、階上に向かって獰猛に吠え続ける野犬たち。
これはアリの友人が度々見ては魘されている悪夢。友人の話を聞いているうちに、アリの脳裏にも過去の記憶がフラッシュバックする。

それは、19歳の時に従軍したレバノン戦争の記憶。しかしアリは何故かそのころの記憶がほとんど抜け落ちていて、自分がどこで、何をしていたのか思いだせずにいる。その抜け落ちた過去の記憶を辿るべく、当時一緒に従軍していた知人たちを訪ねていきます。そして、その知人たちが体験した戦争の記憶がアニメーションで表現されていきます。

19歳の青年たちは、どういう思いで戦場に降り立ったのか。どういう思いで銃を撃ちまくっていたのか。青年たちがそれらの行動にいたるまでに、別段の思考プロセスはなかったというところに、戦争の本質一端を感じました。また、戦闘機が照準を定めて射撃するシーンは、アニメーションであるが故に、まるでゲームのワンシーンのよう。しかし、それは現実の戦場でも一種そういう感触があるのかもしれないという恐ろしさが、ふと頭をよぎりました。

最期、アリはどうしても思い出せないでいた、パレスチナ難民キャンプで起きた虐殺の記憶にたどりつきます。
アニメーションにしたのは、あまりにも辛い記憶のため実写で表現できなかったというようなことを監督が言っていたような気がしたのですが、それだけではなかったです。

意見を表現するというよりも、戦争を非常にプライベートな切り口で描いているところが、今までに見たことのない印象を受けました。なかなかエモーショナルに見ていくことはできませんでしたが、そもそも戦争映画がエモーショナルであるべきかどうか、と言われると、わからないです。

映画は映画館で見たいですけれど、DVDで観られても良い作品だと思います。

(参考に)
ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記

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映画 「THIS IS IT」 マイケル・ジャクソン

友人に勧められて観に行ってきました。

今年(2009年)6月突然知らされたマイケル・ジャクソンの訃報。驚きました。
キング・オブ・ポップと称されながらも、時を追うほどにその身はスキャンダルのベールで包まれていったスーパースター。

「THIS IS IT」、この映画のマイケルは、マスメディアから受けてきた印象とは異なるものでした。謙虚で真面目にステージのリハーサルをこなしていく。彼と同じ舞台に立てるチャンスを得た若いダンサーたちはリハーサルであっても全力投球、またマイケルのパフォーマンスを見ることができて、みな興奮を隠し切れない。クルーたち全員が”マイケルのため”にステージを作っていく。女性ギターのソロパートを指導するマイケル。「ここは君の見せ場だよ、最高の高音を奏でて。大丈夫僕がそばにいるから。」音作りにも細かく指示を出してひとつひとつをベストへと繋いでいく。イヤホンから自分の声が聞きづらくスタッフに注意する場合も、少しとまどった表情を浮かべて「怒っているんじゃないよ、これは愛だよ。」指示を出した後は小さく「God bless you」の言葉を添える。そしてマイケルがその先で常意識していることは私たち”観客”のことであることがとっても伝わってきました。

ステージの演出は豪華なブロードウェイミュージカルでも再現しつくせないような趣向をこらしたものが沢山。解像度の低いリハーサル映像をずっと見ている中でも、その先で実現するはずだった本番の輝かしいステージへの想像はどこまでも膨らみます。マイケルの姿を観るためだけのステージではなく、彼が築き上げた伝説の歴史を辿るような仕立てだと思いました。

リハーサル時のマイケルのパフォーマンスは現役時の勢いと輝きがあるかと言われたら、そうではないかもしれません。けれど彼の立ち位置には未だもって代われる者はいないと言うことも実感させられました。マイケルの存在そのものに関係者たちは自分たちの夢を託し続けているようでした。ジャクソン5時代の軽快な曲とダンスのシーンは、痩せたマイケルの姿が浮き立つようで、どうしてか胸にこみ上げるものがありました。

どれも一度は耳にしたことがある曲ばかり。六本木ヒルズシアターで見たのですが、スクリーンは巨大で音も館内に響き渡り、今までに感じたことのないマイケルの繊細でクリアーな歌声を聴くことができました。

私は彼の特別のファンではありません。今まではスキャンダルへの印象の方が大きいくらい。整形のこと、身体の色素のことなど疑いの目で見ていたことは間違いありません。結婚のこと子供たちへの愛情の示し方にも疑念はありました。けれど、驚異的なパフォーマンス、驚異的な存在に代償がつくというのは、想像してしまうことです。今回スキャンダルとは裏腹の謙虚で繊細なマイケルの姿を見て、彼は幼い頃から多くを求められる存在であり続け、常に自分のためではないところで生きていたのかな?giveばかりの日々で彼がバランスを崩したともとれるし、それでも必死にバランスを保とうとした果てだったのかもしれない。

にわかにはマイケルジャクソンの真実はわかりません。スーパースターの世界は追うばかりでつかめるものではありません。けれど、「I'll Be There」「heal the world」、「Smooth Criminal 」「Beat It 」・・・・・・改めてこんなにも素晴らしい曲だったと痛感しました。曲を口ずさみながら、こんな凄いスーパースターがいたんだよって自分の子供たちの世代にも伝えたいなって思いながら帰路につきました。

JUGEMテーマ:マイケル・ジャクソン
    
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映画「欲望の翼」 王家衛(ウォン・カーワイ)

ウォン・カーウァイ,クリストファー・ドイル
ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン

JUGEMテーマ:映画の感想

1960年代の香港。ジゴロな青年ヨディを中心に若い男女が絡み合っていく青春群像劇。

主人公のヨディは刹那的にしか人と関わろうとしない。けれど誰よりも愛されたいと望んでいるような孤独感に満ちている。ヨディは”死ぬまで飛び続ける足のない鳥”の話をする。その鳥と自分を重ね合わせる。そんな彼から拒絶されても離れていくことができない女性たち。その女性二人に惹かれていく別の男二人。退廃的な物語のようでありながら、どこかで誰かがつながってそれはまた新たな未来に続くことを予感させる、ウォン・カーワイのテーマの一つが色濃くこの映画で感じることができます。

撮影はクリストファー・ドイル。じぃっと人物の表情や動きを追う。本人自身も認識しえないような内なるものがカメラによって抜き取られ浮き上がってくるよう。人物の動き表情の一つ一つが目に焼きつき質感として感情が伝わってきます。何でもないような一つ一つの動作に独特の生々しさがあり惹きつけられます。音楽はザビア・クガートのベーシックなラテンナンバーが流れています。

出演は全員当時の香港トップスター。レスリー・チャン、マギー・チャン、カリーナ・ラウ、アンディ・ラウ、ジャッキー・チュン。エンディングにだけ出てくる男にトニー・レオン。当時の香港映画の分かりやすいエンターテイメント性や、彼らのスターとしての位置からは考えられない演出だったと思います。香港映画界、香港スター界にとってカルチャー・ショックだったと思います。

1993年当時はTUTAYAなどは表参道か恵比寿くらいで、この映画のビデオを手に入れるのはちょっと面倒でした(日本未公開)。けれど、その後アジア映画旋風が置きて映画館で見ることなどもできました。私にとってとても衝撃を受けかつ思いいれの深い作品です。

1991年の作品なので20年近く前、主演のレスリー・チャンはもうこの世にいません。若くして自ら命を経ったレスリー・チャンとヨディの”足のない鳥”の話はどうしてもリンクしてしまいます。
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「あの日欲望の大地で」

JUGEMテーマ:映画館で観た映画


久しぶりに映画を観てきました。
「あの日欲望の大地で」

前知識はほとんどなく(あまり評判を耳にしていなかった)ので、読み解くように物語を見つめ続けました。
監督は「バベル」「21グラム」の脚本で話題になったギジェルモ・アリアガ
主演と制作にシャーリーズ・セロン
この二人の名前が連なっているだけで思い入れの強い一作なのだろうなと思っていました。

冒頭、真昼間の乾いた大地で炎上するトレーラー。
(夫でない)男との一夜が明けて、疲れた表情でベッドの上から起き上がる女性シルヴィア。
灰色の空。何かを閉じ込めたまま放つことのないような町の空気。
岸壁に打ち付ける荒れた冬の海。

映画館で観る映画は映像、音、特有の質感があります。
仕事帰り東京のど真ん中のビルにある空間に身を置きながら、その情景に瞬時すっと引き込まれていきました。

若くはない肉体の色香を漂わせながらも空虚で殺伐とした女性の姿のシャーリーズ・セロンは演技派だと思いますし魅力的でした。
けれども今作で目を惹かれて止まなかったのは不倫を続ける主婦ジーナを演じるキム・ベイシンガーです。
一目その姿をみて、「きれいな人」とスクリーンに見入ってしまいました。
子どもたちを愛する母親の気持ちがある反面、女性として愛されることに何にも代え難い大きな幸福感を覚える女の性、その両方の思いは切実で不思議と透明感がありました。
キム・ベイシンガー、色香が余って「普通の主婦」の域ではなさそうと思っていたので、驚きました。
ギジェルモ・アリアガの世界観は一種独特さが匂うように思いますが、意外にもキム・ベイシンガーの存在でぐっと物語に品性が保たれたような気がします。

また、ジーナの娘マリアーナ(シャーリーズ・セロンの少女時代)役のジェニファー・ローレンスも物語のキーになるべく、何かを押し込めたようなまっすぐな瞳が印象的でした。

シルヴィアの誰にも打ち明けられない過ちの過去、運命的な出会いと別れ、しかし最後は彼女に「再生」への小さな道筋が開かれようとします。

過去の場面は魅了されましたが、それを引き受ける現代の部分、シルヴィアの苦悶と再生の部分にどこか滑らかさがなかったように思います。
けれども一つ一つの場面、またひとりひとりの登場人物の魂は伝わってくる映画でした。
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「愛を読むひと」

「愛を読むひと」今年の1本になりそうです。
涙で翌日顔がむくんでしまいました。。。

※以下ネタバレを含みます。

ケイト・ウィンスレットはこの役でアカデミー賞主演女優賞に輝きましたが、大納得の演技です。
少年のナイーブさをデヴィッド・クロスが熱演しています。

36歳で一人身の彼女が15歳の少年と男女の関係になること、アウシュビッツでの罪、自尊心と引き換えの終身刑、あまりにも割りに合わないと思える彼女の振る舞い。
真面目すぎで正直すぎる彼女の行為が、「文盲」という引き金で悲劇へと繋がっていくような気がしました。

「死の選別」は当時国家によって組織的に行われていたこと。
圧倒的な権力を行使して民衆を巻き込む戦時下において、どれほどの人がその行為に疑念を挟み、そこから逃れることができたのか。
そして、法定でハンナはその罪を”個人”として問われている。

その悲劇は、法科学生になって偶然にも裁判を傍聴していたマイケルにも降りかかる。
突然自分の前から姿を消してしまった恋人との思わぬ再会。彼女の犯した罪と愛の記憶、そしてマイケルのみが知る彼女の秘密。
デヴィッド・クロスの溢れる感情の波と苦しみに、心が押し潰されそうになりました。

ハンナのことも、マイケルのことも、割り切れない。
何故、どうして、そう思う。
でもその割り切れなさこそが、本来人々に訪れる運命の歯車なのではないか。

過去の記憶から逃れられず、大人になっても悩みと苦しみの中で生きているマイケル。
何十年の時を経てマイケルがハンナに行ったこと。
マイケルのその問いかけにやっと本来あるべきであった行動を取るハンナ。
文字の読み書きができるようになった彼女は出所日、犠牲者への償いを残して自ら命を絶つ。

マイケルは被害者イラナの元を訪れます。
起きてしまった悲劇は一人の女性の事情や償いで癒されるものではない。
けれどもこのシーンは、バラバラだったハンナとマイケルとイラナの過去と今と未来をつなぐ重要な部分だと感じました。

「愛を読むひと」は、人生の正解や答えを教えてくれる映画ではないです。
運命について、生き方について、問いかけてくる映画です。
アウシュビッツの悲劇については「シンドラーのリスト」よりも、贖罪というテーマについては、「グラントリノ」よりも、心に衝撃を受けました。
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「 ターミネータ4」

JUGEMテーマ:映画館で観た映画

クリスチャン・ベイルが気になったので、映画館に観に行ってきました。

マリオン内ピカデリー2での上映ですが、ガラッガラ
公開から随分日にちが経っているので仕方ないと思いつつ、満席の映画館も苦手ですが、空席だらけの状況もいただけませんね、、、。

私はターミネータ1〜3を見たことがないので、話分かるかなぁ?と思いながら見たのですが、多分大丈夫だったと思います。

ストーリーは、コンピューターネットワーク「スカイネット」と生き残った人類との戦いです。
この世を救うキーパーソンとして予言されている人物にクリスチャン・ベイル
殺人の罪で死刑が確定していたが、未来を救うものとして人体研究にその身を譲り、未来で蘇ったマーカス・ライト。
マーカス・ライト役のサム・ワーシントン、格好良くて、主演のクリスチャン・ベイルよりも目だってました。

この映画、このように役者さんの演技、ストーリー、迫力のアクションCG、どれもとっても素晴らしいと思うのですが、でも、これ!という特筆すべきオリジナリティがあったかな?と振り返ると、どうかな?という印象が残るのも正直なところです。

ターミネーターといえば、現カルフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツェネッガーです。
彼らしきターミネータが出てきますが。。。
また、ジョン・コナーが有名な台詞「I’ll be back」といいますが。。。

ターミネーター初見の私でも、「あら、この感じ、いいのかな?」と焦ってしまいましたが、ターミネーターをシリーズで見ている方、ターミネーター好き!という方はどうだったでしょうか?

(余談)
かつての彼の映画歴を思うと、こんなエインターテイメント大作にクリスチャン・ベイルが主演するようになるとは思ってもみませんでした。
ちなみにクリスチャンが主演になると、作風がシブクなっていくように感じて、ハリウッドはこういう風味を今求めているの?とちょっと不思議な心持です。
「バッドマン」、「ターミネータ」、まさか次は「スパイダーマン」ってことはないよね?と変な妄想をしてしまいました。。。(笑)。
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映画「精神」

知人のお誘いで、映画「精神」を渋谷のシアター・イメージフォーラムまで観に行きました。

「精神」という題名で思い浮かんだのは、引き篭もり、自殺願望。。。何かをきっかけに精神的なバランスを崩した人たちの鬱屈した閉ざされた世界というイメージです。
更にこの映画のモザイク一切使用しなかったいう切り口にも、どこか”挑戦的”なものを感じて少し構えてしまいました。

精神医療所「こらーる岡山」に通うようになった患者さんたちが、カメラに向かって自らを語ります。彼女ら、彼らの事情は自分たちの周りにありふれていることなのかもしれないと、身近に感じると同時に事の深刻さを思いました。
画面の中には、当初私が想像してた「病」を抱えて生活している人々が確かに映し出されていました。
けれども、どちらかというと症状の軽い状態のとき(といえばいいのか)の場面がほとんどだったのだと思います。

上映後に監督の想田和弘氏との質疑応答の時間がありました。
想田さんは若く落ち着いた趣のとってもスマートな感じの人でした。
質問の手は次から次へと挙がり、想田さんは丁寧に答えます。
質疑への解答を聞いて、私自身は監督の意図がきちんと表現された作品であったと感じました。

観た後に知人と食事をしながら感想を述べあったのですが、意見が分かれました。
例えば、こらーる岡山で働く人、通う人たちが、医療費負担や国の援助の問題などを口にしているシーンが多くあります。
監督は、「作品構成の段階ではそのような意図(政治的側面)はなかったのだけれども、撮影していると皆さんがこの問題を話題にしていることが多くて、結果今はそのことに対して関心が高くなりました」と言っていました。
私は想田さんのその意図(当初は政治的な問題に関心が深かったわけではない)が感じられたのですが、知人は、政治的な面での意図として受け取ることもできる映像(編集)に感じたと言っていました。
撮影に応じて出演している人々は精神は患っているかもしれないですが、こらーる岡山で彼らはコミュニティを形成し、時には笑いあいながら語りあったりもしています。
彼らを見ていると、共感に近いものもあり、自分の沿線上にいる人たちであると感じました。
けれども最期に出てくる男性、彼についてはそれまでの人たちの印象と違います。
この男性に対しては、自分の延長線上にいるとは思いませんでした。
映画は彼が夜の街をバイクで走っていく(無免許らしい、そして信号無視)シーンで終わります。
何かをきっかけにしてうつ病になった人と、生まれつきの障害に近いケースで精神を患っている人(最期に出てくる男性はそうかもしれい)、このようなケースの取り上げ方、映画の構成についても知人は釈然としない思いを抱いていたようでした。
ドキュメンタリーの意義についても再考させられる映画でもあります。

知人の感想を全て理解できていないので、受け間違いがありそうで上手く処理できていませんが、少なくとも私にはこの映画に対して、知人ほど(または他の観客ほど)関心が高いわけではなかった、またこのテーマにたいして切実な思いを抱く存在では現状ないのかもしれないということに気づきました。
結果、話しているうちに自分では感じきれていない、見切れていない問題がこの映画にはたくさん含まれているのだなと、知人の意見は私にとってものすごく参考になりました。

想田監督は一般社会が持つ精神疾患のもつタブーの問題、そこに見えざるカーテンがある、そのカーテンを取り払いたいと思って映画を作ったそうです。
けれどもその”タブー”や”カーテン”、または”精神疾患”の定義すら、一重に作り手にとっても受け手にとっても多様な側面を持っていて、そんなに単純なことではないと知人と話していて感じました。

作品の良し悪しは私には今よく分かりません。
あらゆる意見を受け止める意識、複雑な側面を生々しく含んでいるテーマを扱ったことに対して責任を持つ覚悟があるということを想田監督は話していました。
それが本当であれば、この映画は一つのメッセージとして「作品」であることができると思います。

映画「精神」HP
http://www.laboratoryx.us/mentaljp/index.php



想田監督著書

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「スラムドッグミリオネア」

6月は映画の入替時期で、滑り込みセーフでスラムドッグミリオネアを観て来ました。
今年度のアカデミー賞作品賞、他最多受賞した映画です。
監督はダニー・ボイル。
10年ちょっと前くらいに「トレイン・スポッティング」が若い世代に凄く流行った記憶があります。

ストーリーは、インドのムンバイにあるスラムで育った青年ジャマールがクイズミリオネアに出演。
教養もないスラム育ちの青年(スラムドッグ)が、どんどんクイズに正解していく。
問題が出される度に彼の脳裏に、少年の頃から今に至るまでの様々な記憶が蘇える。
彼は何故クイズ番組に応募し出演たのか?
果たして彼はミリオネアになれるのか?

日本とインド、随分とかけ離れた国に思えるけれども、クイズミリオネアは日本でもみのもんたでおなじみ。
番組を象徴する音楽や司会者と解答者の掛け合いの
「ファイナルアンサー?!」
は共通語で、ドキドキします。

この映画、現代の御伽噺で平たく言うとエンターテイメント満載。
けれども、映像の中にはインドのスラムの姿。
ゴミの山の中で眠る子供たち。
民族闘争の中逃げ惑う人々。
その他様々と過酷な状況が少年たちを取り囲んでいく。
しかし観ている自分は「あぁ、インドの現実って」インドの現実が忠実に表現されているかはわからないけれども)と感傷に浸る暇もなく、少年たちは生き延びるために全力疾走している。
そして画面はバシバシとダイナミックに切り替わっていくし、効果的にインドミュージックが鳴り響く。
そんなジャマールの生きてきた過去のスリリングさに圧倒されていると、ぱっと場面がクイズ番組のシーンに戻りまたそこで緊張。
物語にも映像にも音楽にも、と何がなんだかというくらいな感じで夢中になって画面を追いかけました。

これは勝手な想像なのだけれども、作っているうちに想定以上のノリになっていって、想定以上の出来になったんじゃないかなと思ったりもしました。

ひさびさにおすぎのブログ見てみたら感想に
「ダニー・ボイルがインド映画へのオマージュをたっぷり見せてくれます。思わず涙が出てとまらなくなりました。」
とありましたが、私も同じく、何かエンディングで涙ぐんでしまいました。

このエンターテイメント万歳感や、少々荒っぽくさえもあるダイナミックさで、「名作」という感じの映画ではないかもしれないけれども、アカデミー賞受賞ですし、2009年を飾るに相応しい映画で、とっても興奮そして満足させてもらいました。
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「グラントリノ」

銀座のシネスウィッチ銀座にて、クリント・イーストウッドの「グラントリノ」を観て来ました。

クリント・イーストウッド扮するはウォルト・コワルスキーは、現在リタイヤして毎日同じような日々を送っている。偏屈で頑固者の彼は妻に先立たれ、子供夫婦そして孫とも上手くコミュニケーションを取る事ができない。
彼が住んでいる町には今では移民が多く住むようになり、隣の家にも中国系モン族の家族が引っ越してくる。そのモン族の少年タオが、ならず者グループに属している従兄弟たちから、ウォルトの愛車グラン・トリノを盗むよう強要されるが、生憎ウォルトに現場を発見されてしまう。
ここからウォルトとタオの交流が始まる。
偏屈で口の悪い男だが、タオに親心のような親友のような愛情を抱き始めるウォルト。
内向的なタオはウォルトと出会い、徐々に利発さを発揮して成長していく。
しかし、自分たちになびかないタオに再び不良たちが絡んでくる。
なんとか不良たちからタオを守ろうとするウォルトであったが、彼の取った行為が更にタオとその家族を追い詰めていく。

ウォルトは、有色人種であるモン族をはじめのうち警戒し差別するし、タオに向かっても「このトロ助」など言い続ける偏屈ぶり。
けれどもウォルトの頑固でシャイなところは憎めない感じで、むしろコミカルにさえなっていきます。言葉使いは変わらずとも徐々に心を開いていく高年の男の様子が凄く面白かったです。
しかし、クリント・イーストウッドです。ただのハートウォーミングで終わりません。
ウォルトは朝鮮戦争の帰還兵。戦争で人を殺してしまった経験の悪夢から逃れられずに苦しみ続けている心の内。家族への愛情の示し方のわからない後ろめたさ。

クライマックスは、イーストウッドの渾身の思いが籠められています。
エンディングで流れる曲「グラン・トリノ」で、観客は涙を流していました。
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映画 「ミルク」

(チラシ、今回の映画ではないですが。。。)

ガス・ヴァンサント監督の「ミルク」を観て来ました。
2003年の「エレファント」ではカンヌのパルムドール賞を受賞している監督です。
主演はショーン・ペン。この役で今年度のアカデミー主演男優賞を獲得しました。

40歳の誕生日を目前にした銀行員の男、ハーヴェイ・ミルク。
一人のバースデイは寂しいと、道端で若い男性に声をかけます。
意気投合した二人は都会を出て新地へと出向き、サンフランシスコのカストロ通りでカメラ店を経営します。
しかしミルクはその新天地で保守派の人々に対向し、ゲイの人権を確立しようと思い立ち活動を始めます。
見事市議会議員にまで登り詰めるのですが、他の議員との法案のやり取りで怒りを買い、銃弾に倒れてしまいます。

ハーヴェイ・ミルクはゲイを公表しながら、アメリカの地で公職についた人物。
40歳までただの男だったとは思えない、アイディアと行動力の持ち主。またユーモアで人々から愛されるキャラクターで、ゲイムーブメントはどんどん広がっていきます。
群集を前にして演説するミルクですが、力強さよりもなんとなく賢さやナイーブさが漂っていて、そこがなんともいえない魅力を感じました。

個人的な感想としては、アメリカには保守派と呼ばれるキリストの原理主義を信仰している人々が5割以上であるという情報(正確な数値かは知りません)を知って、このゲイムーブメントについては一重に喜ばしいとは思えない考えがあります。
なぜなら、その原理主義の人々のゲイに対する思いは単なる偏見ではないと想像したからです。
私なんかがよく外で好みでない人を見ると、「あ、アノ人キモイ」とか思ったり思われたりというような、異質なものへの嫌悪といったレベルではないと。
まっすぐな眼で、男性が男性を愛するという事実はこの世ではあってはならないと信じて疑わない人たちにとっては、映画で見る限りのミルクの運動だと受け入れられたわけではないと思ったからです。
その厳粛な考えの人々と和解したのではなく、ゲイまたは、原理主義ではない人たちの中に火をつけて、そのともし火がどんどん燃え広がっていったのだと見受けました。
つまり対立していたものとの勝利ではあったかもしれないですが、厳密には互いに理解が成立したわけではなさそうです。
とはいえ、ムーブメントによってそれまで認められていなかった人権の価値を知るに至ったアメリカではあったのだと思います。
ので、アメリカにおける原理主義やゲイ文化をもう少し詳しく知りたいなと思いました。

ガス・ヴァンサント監督、映像そのものの質感でも評価の非常に高い監督です。
またショーン・ペンをはじめ、彼を取り巻く人物たちもみな魅力的で、映画としてはとても素晴らしいものでした。
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