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「旅する会社」 平野友康さん

昨年何気なく手にとった本で知ったWEB作成ソフト「BiND for WebLiFE* 3」を購入してから、デジタルステージ社長の平野友康さんに注目しています。

著書の「旅する会社」読んでみました。

”仕事は楽しくなくては”などと大人は言うけれど・・・私の現実は・・・なんてついつい嘆けがちになってしまいます。けれど、WEB制作ソフトBindを手にした時、ホームページを作る前からちょっと楽しく、ちょっとワクワクしました。その時の感触を忘れられずにこの本を読み進めました。

好奇心旺盛で、何よりも遊び心満点、仲間を大切にする平野さん。最初に発案、開発したVJソフト「モーションダイブ」はデザイナー二人、プログラマー一人(平野さん)で世に送りだした商品。海外版は出していないにも関わらず、海外にも多くのユーザーがいることを知る。
また、途中会社が倒産寸前になったときは、自分たちの商品を楽しんで、新しい商品を心待ちにしている「お客さん」の存在に気づく。自分たちのやりたいこと、作り出したいこと、表現したいことを母体として、そこからまた平野さん、デジタルステージの新しい体内的、対外的なコミュニケーションが始まる。

そして、今回読んでいてついつい気持ちがノッテしまったのが、平野さんmacを初期モデルのころから愛用していて、アップルのこと、スティブンジョブズのこと、macソフトのことなどを熱く語っているところです。

近々PCを購入予定。私は長年のwindowsユーザなのですが、アップルストアで目にした最新版のimacの魅力に引き寄せられてしまっています。友人知人からは、「いまさらmac購入なんて、windowsと比べて高いし、使いづらいし、あなたにとっていいことそんなにないよ」と言われまくっているのですが、どうしても気持ちがmacから離れていきません。
ipodが私の初アップル商品なのですが、itunesで気軽に沢山の音楽を引っ張り出して組み合わせることができることで、聞く音楽のジャンルそのものが変わりました。iphoneも携帯電話文化を変えていくような大きな転換を感じるアイテムですよね。今流行ってきているツイッターなどはiphoneとの親和性が高いそうです。
今、デジタル、通信などの世界に新しい価値をどんどんマスに広げていっているのはアップルなのではないか、と思ってしまいます。
windowsユーザーにも強力な吸引力で迫ってきます、アップル!

平野さんの本の感想のつもりが、アップルについての感想になってしまいした。

「旅する会社」、ちょっと情報は古いですが、仕事の楽しさ、デジタルの表現する世界の楽しさが詰まっています。
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村上春樹『1Q84』 BOOK1(上巻)

村上春樹の『1Q84』上巻が読み終わりました。

村上春樹を初めて読んだのは『ノルウェーの森』です。
冒頭の1文、1ページで「おわっつつっととと」となりながらもフガフガ言いながら読破したのですが、冬休みの大掃除時団地のゴミ置き場に意識的に本を持って行きました。
その後もう1冊読んでみたのだけれど、やはり「ウッオウッウ」となってしまってそれっきり。

なんて言いながらも宣伝のウキウキ感でこの度再度村上春樹に挑戦。
はじめの3ページくらいで今回も「うぅっぷ」となったのですが、でも私ももう大人で「そこは存じておる」と自己の感覚に流されず読み進めました。

メインパーソンはとある事情に関わっている29歳の女性「青豆」と、小説家志望でとある事情に関わってしまった28歳男性「天吾」、そして謎めいた17歳の少女「ふかえり」。
青豆と天吾がふかえりのバッグにある「何か」に双方別々の理由で深く関わっていくことになるところで上巻は終わっています。

今回の物語はそこそこ「俗」感があるように思えたけれど、違うかなぁ。。。
「好き!」な人にも感性のヴェールがかかっているでしょうけど、「ウプっ」な人にも苦手意識のヴェールがあるので春樹さんの「本質」が見えていない気がしてなりません。。。

村上春樹は新刊をだすと社会現象になるくらいの影響力あります。
けれど今回改めて読んでみましても「これは好きな人と苦手な人で分かれるぅ。」と力強く思いました。
春樹さんの作品は、非常に切実な問題であっても独特な比喩などをまとって表現されるのでか宙に浮いたような、気取っているような風に感じてしまうのです。
「そんな経験や岐路においてもそんな飾られたような感情なのぉ?!」と、苦手な人は共感よりも感覚の落差を感じるのでしょうか・・・。

あとメインパーソン以外の台詞がほとんど「状況説明」であることが意外でした。
キャラクターすら説明で知っていくような感じです。
そういう意味でも登場人物や台詞に常リアリティがないところが村上春樹ワールドなのかもしれません。(違うかな?)

正直上巻はなかなかに物語は展開していきません。それどころか、同じようなことを繰り返し繰り返し青豆と天吾が言っているような感覚に陥ります。
けれど、ふと気がつくと、青豆と天吾とふかえりがつながって、背景にある事情が浮き彫りになっていきます。

ですので、「ふふ〜ん、う〜ん、それでどうするのかなぁ」と気になって最後まで読み進めました。
ので、続きの内容は気になるのですが、単行本は値段が張るし大きさもあるから、ちょっと『1Q84』は寝かせてしまおうかなと思ってます。

ただしぃ、続きは気になるけれど、「知ればいい」というよりは知りたいならば自分で読みたいと思っているあたり、むむむ村上春樹に少し近づいておるかもしれないのでありまする。
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漫画の話「MONSTER」「潔く柔く」

以前職場の同僚が持ってきてくれた浦沢直樹「MONSTER」は本当に面白かった。
全巻持ってきてくれてたはずなのだけど、後半の1巻がたまたま無くって、夜遅くに地元のブックオフまで自転車走らせて買いにいきましたっ。

そんなこんなで漫画ではまたっと言えば浦沢直樹くらいなんだけれど、先日友人からいくえみ綾さんの「潔く柔く」という漫画がおすすめと教えてもらいました。
講談社漫画賞を取った作品らしいです。

絵を見た感じで、「あ、はちみつとクローバーはあまり得意でなかったけれど、大丈夫かなぁ?」と言ったら、「たぶん大丈夫、ハチクロとは違った感じの物語だよ。」と言っていて、他の知人からもやはり同様に面白いしオススメといわれたので、近々に読んでみようと思っています。

漫画好きの知人が何人かいて、浦沢直樹のほかの漫画も完結した後に全巻貸してくれたりして、とにかく私の場合漫画は一気読みが多いです。
「あ〜ありがたい、気になるままに一気一気」と夢中になって読んでます。

けれど先日AERAの浦沢直樹インタビューを読んだら、”週間誌で次が出るまでに繰り返し読むのがいい”というようなことを言っていて、感化されやすい私は「そうかぁ、書いている本人がそういうんじゃなぁ。」と思いつつ、やっぱ一気読みできる幸せもなんとも言えないと。

とはいえとはいえ、たまたま漫画好きの知人友人がいるからとはいえ、自分で漫画を購入するということはほとんどないレベル、漫画の本当の楽しみを知らないでいるのだろうなぁ、とは思うのです。

そういえば、漫画に続いてアニメの話になったときに「押井守」と言ったつもりが「押尾学」と言ってしまった。
TVばっかり見ているぐうたらさがまたここで出てしまったと口をつぐんだのだけれど、「わかる、わかる、これはしょうがないよ」と同席の人々からはそんなおっちょこちょいに同調してもらえました。

マスメディアの無意識レベルにおける影響を今日も浴びて一日が終わろうとしています。

そして今日はNHK爆問学問「浦沢直樹」
楽しみです!

JUGEMテーマ:いくえみ綾
JUGEMテーマ:浦沢直樹

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浦沢直樹「PLUTO」最終巻

JUGEMテーマ:浦沢直樹

「PLUTO」読み終わりました。
(注意)
以下ネタバレ含みます!!!

今回は物語のベースに一般認識レベルのイラク戦争をそっくり持ってきているあたりと、ラスト謎が解かれていくところ、そしてアトムの運命に「ん?」と思いました。
安易な感じ、あっさり感がちょっとありました。

本題のテーマ、” ロボット ”と” 人間 ”の関係
高度に発達した人口知能、ロボットと人間の境界があやふやになってくる。そのことにロボット側が切実な思いで向かい合う

ロボットであるはずのゲジヒトが犯すはずのない罪を犯す。
そして死ぬ直前にゲジヒトがたどり着きアトムに引き継がれる思い。
「憎しみからは何も生まれない」という言葉の重さは、ロボットから生まれたことでよりいっそう胸に迫るものになりました。

では、人間と境目がないまで人間に近づいたロボットに私たちはどう思いで接するのか?

御茶ノ水博士は、ロボットに「人権」があるとする立場。
天馬博士はアトムの生みの親。自分の亡くなった息子に似せて作ったアトム。
天才的な頭脳と技術の持ち主、そして背負っている大きな十字架。
天馬博士のロボット(アトム)に対する思いは、複雑で切実なものを感じました。

手塚治の生み出した「鉄腕アトム」はその親しみやすいキャラクターから、何も深く考えることもなく、私たちにロボットのアトムを同じ位置にいる隣人と思わせてくれます。

ぐるぐる頭が回ってもシンプルにはできないテーマ。そこを主題として捉えたキャラクターの描き方には、浦沢直樹の力量を感じました。

あと、エヴァンゲリオンと似たようなところとがある気がしました。
卵が先か鶏が先かですかね。。。?
あ、「羊たちの沈黙」とも同じ設定もある。
そういう意味で、浦沢直樹にしてはちょっと”つぎはぎ”に感じる状況設定だったかも。

途中までのドラマの描き方や隠された事実の設定などが尋常でなく上手いので、逆にそれを引き受けてのラストで評価を分けてしまう浦沢漫画。
今回の「PLUTO」も、良し悪し含めて浦沢直樹節を堪能いたしました。
色々な評価あわせても余るくらいに私は浦沢漫画凄いと思ってます!
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日本の小説家

島田雅彦さんのブログ「NARCOSHAMANのお告げ」をたまたま開いて読んでいたら、新刊『徒然王子』自信があるのに、世の関心は「1Q84」ばかり。日本に小説家は一人でいいのか、と愚痴っているのがすごく面白かったです。

自分は島田さん、村上さん、双方に好きとか嫌いとかないのですが、世間の風潮から外れて(というのは島田さんに悪いかな?)『徒然王子』を読んでみようかなという気になってしまいました。

とはいえ、世間の風潮に抗えず「1Q84」も気になります。
世間の風潮が収まれば、「1Q84」は気にならなくなるかもしれません。
村上さんのファンではないので、旬の今だからこそ「1Q84」は読みたいでーす。
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告白

友人と会って「今年の本屋さん大賞、告白読んだんだ。」と告げると、その友人「え?町田町蔵、本屋さん大賞取ったの?」と言っていて。
「違うよ〜、女性作家の”告白”だよ〜」と言いつつも、告白と聞いて町田康を思い浮かべているその友人の存在が少しうれしかったのであります。

本屋さん大賞の「告白」、帰りの電車で読むなどして3日間くらで読み終りました。
読みやすいので、普段本を読まないような方でも読めると思います。
評判の通り、面白い感はずっとありました。けれど、自分にとっては感動とか共感とか、そういう感じではなかったです。面白さの構成が推理小説みたいな感じがしました(推理・・・何か違う気もしますが)。
作者が読者をちょっと驚かせるように色々と仕組まれてる感じが少しするような。
その仕組まれてる感じがなかったら、登場人物たちの思惑のズレであるとか、善悪の感覚への示唆がもっとリアリティがありそうですし、切実さを帯びて、もっと引き込まれていったかもしれないなと思ってみたり。
作者の世の中に対する鬱屈した意見を、小説にして登場人物たちに投影して、そして共感を得たいというちょっとそういう下心を感じたような気がしてしまったのです。
あくまで自分とその作家、その小説との相性からくる感想ですが。

平たく言うと、そういうことであまり好みのものでなかったので、感想を書くを控えようかと思っていたのですが、ついつい吐露をしてしまいました。

と、言っても、再度言いますと、読みやすく、また読者が思わず引き込まれる文体に内容です。
”本屋さん大賞”と気になっている人は、読んでみること、ぜひオススメします。
自分も「読まなきゃよかった」ではなく、読んでみて初めて言える感想です。
また湊 かなえさん、ちょっと気になります。機会があったら他の本読んでみようかなとは思っています。

町田康「告白」は、感想色々めぐっているので、落ち着いてまた吐露しようかなぁと思います。
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狂気という隣人

知人にこの本を教えてもらい読みました。

とても読みやすく一気に読み終わりました。

精神科医療を行っている都立松沢病院で働いていた医師による実体験が元になっているノンフィクションです。

この本で取り上げられている患者さん(松沢病院に担ぎ込まれてくる患者さん)の主な症状は、統合失調症というもので、wikiペディアでは
「妄想や幻覚などの多様な症状を示す、精神疾患の一つ。医学が進歩した今日でもなお治療が困難な病である。」
と記されています。

病院での処置(応急処置)は拘束や投薬、また電気ショックなどが主たるものであることがわかります。
精神障害というと身体というよりも、イメージ的に心の問題と考えがちで、投薬や電気ショックは過激なようで非人道的な療法のように思えます。
けれども患者の症状や状態、また医療側のシステム上の体制などを考えると、実際的な対応であることを本書を読むと理解できます。
また投薬や電気ショックは一時的な応急処置だけでなく、精神状態を医学的に改善する目的でもあるようです。
考えてみたら逆に、覚せい剤を投与すれば正常な人であっても精神に異常をきたすということについては、一般人でも広く認識があります。
投薬が症状の緩和・改善にも効果があるというのは、何となくですが想像できます。

統合失調症、及び精神病などは、身体の病というより心の病という印象で、その気の無い人にとっては理解しがたい、異質な世界のものに思えてしまいます。
であるので実際にそのように自分がなったとき、また周囲の人でその様な人が現れた時、どのように対応したらいいか分からない。
松沢病院の患者のような症状、我々とはかけ離れた精神世界で生きていること、またその家族の生活は想像を超えてしまいます。

そして、この本で述べられている重要な点、統合失調症の犯罪者における法的措置の問題があります。精神鑑定で統合失調症と認定されると犯罪責任能力は問われず刑を科されません。
そのような犯罪者は法律からも阻害されている存在なのです。
では、そのような犯罪者はその後どうなるのか。彼らへの社会的措置体制はほぼ無いといっても過言で無い状況です。
再び社会に出て再犯に至るケースも少なくありません。
犯罪者当人にとっても、被害者にとっても、病院側にとっても、また隣人である我々にとっても、埋もれたところにある大きな社会問題であることに気づかされます。

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カミュ「異邦人」

何となく名著と思って購入しておいたカミュの「異邦人」。
買った動機も何となくなのですが、今回読んだ動機も何となく。

物語は主人公ムルソーの亡くなった母親の葬儀のシーンから始まる。
ムルソーは葬儀を終えた翌日には恋人を作り、元どおりの生活を続ける。
しかしある日、突然にも友人の知り合いのアラビア人を射殺してしまう。
牢に捉えられ裁判にかけられたムルソーは、その殺人の動機を「太陽のせい」と言う。
彼の無情とも思える態度、理不尽な動機により、ムルソーは死刑を宣告される。

ムルソーの言う「太陽のせい」という台詞は、異邦人を読んだことのない人でも何となく耳にしたことのあるものだと思います。
わたしもその一人でしたが、さすがに「太陽のせい」というのはきざな感じがして、事情はわからずもちょっと内心不服に思っていました。
けれども通読してみると、このムルソー、世の中の出来事や他人に対して無感情・無関心に映るのですが、こと太陽に関しては意識が高いという事実があります。
この文学的な人物の捉えかた、情景の描き方を上手く「こうだった」と言い表すのが文学初心者の私には難しいです。
けれども「異邦人」、読んでみると「太陽のせい」という他人には決して理解できないこの動機がムルソーにとっては真実であったという、何ともいえない気持ちになります。
牢屋で司祭から求められる神への懺悔も拒否し、まるで自ら死刑を受け入れるような言葉を吐きつけるクライマックス。
単なる事の成り行きで悲劇的な最期になったわけではない、何か強烈なものをムルソーから感じる最期です。

深く理解したわけではないので、上手く説明できないのがまどろっこしいですが、文学にはそこはかとない力があると思いました。
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森に眠る魚

仕事が上手くいかない、対人関係をこじらせた時、色々な問題に直面した時に、
「自分があんなこと言ってしまったからいけなかった」
「自分のことばかり考えず、相手のこと、周囲のことを意識して言動、行動しなければ」
などよく反省をします。
そして「それでも問題は自分にあると省みることができるうちはまだまし」と、自分を励ましてきました。
けれども、この「森に眠る魚」を読むと、そんな自分の考えは甘いというよりもまやかしでしかないのではという、とてつもない不安が襲ってきました。

幼い子供の母親である5人の女性。最初のうちは互いに惹かれあい、仲間になったことを喜びます。しかし次第に気持ちや状況がすれ違っていく。
彼女たちはそのすれ違いの中で色々な出来事、自分のことを省みています。
けれども不安、焦燥、嫉妬は増殖していく。
省みているその情景やその時の心そものもが、もう闇の中に閉ざされてしまっている。
どんなに悩んでも省みても、お互いの思惑はすでにずれてしまっている。

読者が女性であれば、5人の登場人物たちの誰かのつもりになって読むかもしれません。
私も一人の女性と自分を被せて読みました。
とてもではないけれども気分の良いものではありませんでした。

このままこの心理状況が続いていけば・・・。
他人の子供に手をかけてしまった母親のあの事件と同じ光景が、暗示のように出てきます。
その当事者は私にとっては彼女(私が私を投影させた人物)であると思ったのですが、この本を貸してくれた友人から、それは読んでいる人それぞれで変わってくるのだと言うのです。

何かが解決したという区切りはなく、5人の女性は”子供の受験”という一つの時期を経て、その先の日常を生きていきます。
受験は小学校受験だけではありません。
そして母親が抱える問題はお受験だけではありません。

まとわりつくような湿った感覚を残したまま本を読み終えました。
けれどもそのことに対して、読者を突き放すというような作家の無責任は感じませんでした。
そうであっても生活は続いていくのだという、母親たちの切実な現実を受け止めているからこそのことであろうと思います。

芸術家の苦悩といったものではない、どこも恍惚としたところのない苦悩、こういうのを表現するのは女性作家さんの方が凄いなと思いました。

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「それから」

定職も持たず思索の毎日を送る代助と友人の妻との不倫の愛。激変する運命の中で自己を凝視し、愛の真実を貫く知識人の苦悩を描く。 (amazonより)

あらすじを簡潔に書くのは難しいです、、、ので、いつも拝借。

主人公の代助は働き盛りの年齢に達しても無職で、親に面倒を見てもらいながら学問を続けている。明治から昭和初期にかけてこのような人を高等遊民と言うらしいです。
物凄くインテリゲンチャで見た目も多分結構いい男。
代助は親の生き方や、自分の稼ぎで生活している友人の窮地などを見下すような思考構造を持っています。自分は親のすねかじりで働きに出たことが無いにも関わらず。

近代主義というのでしょうか、個人主義というのでしょうか。
ちょっと私は代助のそのような思考態度を○○と言い当てはめることができないのですが、その考えかたや生き方に思わず共感してしまうところはありました。
けれどもそうやって共感している時分から、代助のそのような独りよがりな生き方、また独りよがりでしかないということをあまり意識していなさそうな態度が徐々に「あぁ、なんかもう、とほほだよ」と思えてきました。夏目漱石のその文学性すらも感じる余裕がなくなるくらいに。
自分は代助のその個人主義的ロマンチストな感じに憧れつつも、何せ生活のために働いている平成のサラリーマンで、現実は代助の友人平岡側です。

その代助にはずっと思い続けている女性がいます。その女性は友人平岡の妻です。
ここら辺のいきさつも、代助のなんともいえない事情が絡んでいます。
そして代助は最期、彼女と一緒になることを決心します。

この不倫関係なども、代助の言動・態度・行動、もう共感する余裕もなく、振り回されているような気持ちで読んでいたのですが、最後の最後で(ラスト3Pくらい)・・・衝撃です。
夏目漱石は代助のそのような生き方に、ある回答を示します。
夏目漱石って、いったいどんな人だと・・・思いました。
題にあるとおり、ラストのラストで代助の「それから」が始まるのです。

私の場合、それから1週間くらいラストの衝撃が消えませんでした。。。
| Posted by adomirari | - | - |

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